2011年 06月 19日
知らなかった大切な人 |
本日は、平和公園に行ってきました。
没後50年 第22回ジュノー記念祭を見るためです。
ジュノーさん。広島の恩人とも言えるこの方を知ったのは、今年の桜の季節のこと。
観光客の方が平和公園の片隅にある記念碑の前で写真を撮っておられたので、ナンぞや??と思って近付いてみて、記念碑に書かれている文章を読んで始めて知りました。
そして通訳をされている友人の方から、今日のことを聞き、始めて式典に参加しました。
名前はマルセル・ジュノー
赤十字国際委員会の駐日主席代表をされていた方でお医者さま
広島に原爆が投下され、沢山の方が苦しんでいる事を知ったジュノーさんは、沢山の困難を排して、15トンもの医薬品や医療材料を広島に提供してくださいました。
そして自らも広島に入り、医療活動に専念。
沢山の広島の方を救ってくださった恩人です。
今年の4月まで、私はこの方の事を一切知りませんでした。今、私達が元気に暮らしているのも、こうやって沢山の愛を与えてもらったからなんですね。
一人の力で生きてこられた人なんて、絶対いないのだな~と強く痛感しました。
沢山のことを学べた一日でした。
そして紹介してくださった通訳のTさんとも初めてお会いできて、本当に嬉しい一日。
ありがとうございました☆
それにしても、やはり核は人類と共存してはいけないのですね。
原爆として落とされることがなくても、いつ福島のような原発事故が起こるかわからない状態で、未来を担う子供たちに負担をかけるのはイヤです。
今、福島の原発で懸命に復旧活動をされておられる人たちの中に規定量を超えた被爆をされた方もおられると聞きました。
故郷を去らざるえない人たちも、どんなに辛いでしょう。
やっぱり唯一の被爆国として、原発NOとはっきり言うべきじゃないでしょうか??
核の脅威におびえるのは、もう終わりにしたい。子供たちに明るい未来をプレゼントしたい。
そう思いませんか?
没後50年 第22回ジュノー記念祭を見るためです。
ジュノーさん。広島の恩人とも言えるこの方を知ったのは、今年の桜の季節のこと。
観光客の方が平和公園の片隅にある記念碑の前で写真を撮っておられたので、ナンぞや??と思って近付いてみて、記念碑に書かれている文章を読んで始めて知りました。
そして通訳をされている友人の方から、今日のことを聞き、始めて式典に参加しました。
名前はマルセル・ジュノー
赤十字国際委員会の駐日主席代表をされていた方でお医者さま
広島に原爆が投下され、沢山の方が苦しんでいる事を知ったジュノーさんは、沢山の困難を排して、15トンもの医薬品や医療材料を広島に提供してくださいました。
そして自らも広島に入り、医療活動に専念。
沢山の広島の方を救ってくださった恩人です。
今年の4月まで、私はこの方の事を一切知りませんでした。今、私達が元気に暮らしているのも、こうやって沢山の愛を与えてもらったからなんですね。
一人の力で生きてこられた人なんて、絶対いないのだな~と強く痛感しました。
沢山のことを学べた一日でした。
そして紹介してくださった通訳のTさんとも初めてお会いできて、本当に嬉しい一日。
ありがとうございました☆
それにしても、やはり核は人類と共存してはいけないのですね。
原爆として落とされることがなくても、いつ福島のような原発事故が起こるかわからない状態で、未来を担う子供たちに負担をかけるのはイヤです。
今、福島の原発で懸命に復旧活動をされておられる人たちの中に規定量を超えた被爆をされた方もおられると聞きました。
故郷を去らざるえない人たちも、どんなに辛いでしょう。
やっぱり唯一の被爆国として、原発NOとはっきり言うべきじゃないでしょうか??
核の脅威におびえるのは、もう終わりにしたい。子供たちに明るい未来をプレゼントしたい。
そう思いませんか?
by sakurairononuno
| 2011-06-19 16:51
| 日々のいろいろ